障害児医療に携わって
広島市こども療育センターに勤め始めたのは、脳性麻痺早期発見・早期治療に携わりたいと考えた昭和56年のことです。その後、自閉スペクトラム症をはじめとする発達障害(狭義)の子どもたちの診療が大きく加わりました。肢体不自由児通園施設(現在は医療型児童発達支援センター)の園長を長年経験しましたが、その間、療育医として学ぶことのほうが多い数十年でした。
赴任して間もなく、県内の施設を利用した夏季療育キャンプが開始されました。ある年には太田川上流での川遊びが計画されました。身体の不自由な子どもたちが、こんな雄大な自然の中で川遊びをする機会はそうないだろうから、と職員みんなで話し合い実行したものです。しかし、川の一部をせき止めて安全に遊べる場所を作るのは思った以上に大変で、大小の石をいったい何個運んだことでしょう。自分も手伝いながら、我が療育スタッフは子どもたちのことを思いここまでするのだと思いました。
障害を持つ子どもを持ち、苦しみ悩みながら子育てをしていくその経過の中で、たくましく成長される保護者の方々との出会いも多く経験しました。
さて、ここ15年余りは先天奇形を持つ子どもたちへの‘臨床遺伝学’を生かした仕事にも携わっています。臨床遺伝学とは “ある症候を持つ患者さんに対し、遺伝学的要素がいかに影響を及ぼしているかを明らかにし、予後や合併症を視野に入れ、総合的な支援を行う医学”と説明されるでしょう。その領域に自分をいざなってくれたのは、多くの重い障害を持つ子どもたちでした。自分の役割は、ゲノム異常を背負って生きることになった子どもが身をもって示した遺伝学上の新事実を明らかにし、子どもたちの今後に生かしていくことだと思います。
今も嘱託医として勤務しています。広島市こども療育センターが広島の発達障害(広義)、そして情緒障害の臨床・研究をけん引していく役割をもつものと自覚し励む、多くのスタッフの一員として働くことを誇らしく思う昨今です。