【連載ばぁばみちこコラム】第五十三回 乳児期の感覚を通じた愛着と心の育ち(2) 広島市民病院 総合周産期母子医療センター 元センター長 林谷 道子

 赤ちゃんが産まれてからの最初の 1 年間を乳児期と呼んでいます。この時期は一生のうちで心と体が最も発達する時期で、この時期のお父さんやお母さんとの感覚を通じたふれあいは将来の心の基礎づくりのためには非常に大切です。

もし、赤ちゃんが日記を書いたら?=赤ちゃんの世界

 この本に出てくる赤ちゃんの名前はジョーイ。この本はダニエル・スターンという幼児心理学者が生後6週間から4歳までのジョーイの内面についてつくりあげた日記です。
 生後6週間、生後 4 カ月半、生後1歳、生後1歳8か月のそれぞれの時期にジョーイが経験したことが描かれています。
 生後 6 週間のジョーイは、彼がこれから生きるはずのさまざまな世界の第一歩に踏み出しました。彼はそこでは経験することがらそのものではなく、経験が自分の内面に呼び起こす「感覚の世界」に関心を向けています。
 生後4カ月半のジョーイは社会的な微笑みやおしゃべり(喃語)なども始まります。そして長い間、人と目を合わせることができるようになりますが、その範囲は「身の回りの世界」に限られています。その世界には顔が存在し、人の顔の表情を読むことができるようになり、お父さんやお母さんが動きに敏感に反応してくれることによってお父さんやお母さんとの間に特別な関係を感じ取ります。相互作用においては、声によるやり取り以上に見つめあうことが大切で、それにより相手の心を感じ取ることができます。
 生後1年になると、ジョーイは自分に心があること、そして他人にも心があることを発見し、願望や意思といった内面の「心象風景の世界」に気づくようになります。そして生後1年8カ月になったジョーイは「言葉の世界」に入り、言葉で思いを伝えることができることを学びます。
 産まれたばかりの赤ちゃんは文字を書くことや話すことができず、言葉のない世界で生きています。周りで起こる大人なら見過ごしてしまいそうない日常的な出来事に対しても五感のすべてを総動員して生きており、そこで経験した多くのことが、その後の人生の様々な原型となり、幼い頃に経験した感覚の世界は生涯決して消え去ることはないとされています。

 

 

間主観性とミラーニューロン=相手の気持ちや意図を読むことができる赤ちゃん

 「間主観性」 という言葉は心理学で用いられる用語で、相手の気持ちや意図を読むことを言います。エジンバラ大学の児童心理学者のトレヴァーセン・コールウィンによれば、赤ちゃんは生まれつき、間主観性を持っており、お父さんやお母さんなど自分を育ててくれる相手の気持ちを読むことができると考えられています。これを司るのが人の前運動皮質にある「ミラーニューロン」です。

ミラーニューロンとは? =他者の感覚・情動を推測・共感する脳のメカニズム

 相手のしぐさや表情など言葉によらないコミュニケーションから、相手の思いや感情を推測できるのは、ミラーニューロンと言われる脳の神経細胞の存在によるとされています。
 ミラーニューロンは 1996 年にジャコモ・リッツォラッティらのマカクザルの実験から発見されました。相手が行っている動きを見ている時に、自分自身が同じ動きをしている時と同じ部位の神経細胞が反応を示し、鏡に映し出しているという意味で「ミラーニューロン」と名づけられました。別名で「ものまね細胞」や「共感する細胞」とも呼ばれています。
 人の赤ちゃんでの目の動きの観察によれば、ミラーニューロンのシステムは生後 12 ヶ月までに発達し、言葉のない赤ちゃんが自分以外の人の心を理解することを助けているとされています。

一次的間主観性とは? =愛着の土台となるもの

 トレヴァーセン・コールウィンは間主観性を、産まれてまもなくから認められる一次的間主観性と 9~12 か月以降に認められる二次的間主観性に分けています。一次的間主観性は、意味のあることばが介在しない直観的で即時的な相手との間の意識のやり取りを指しています。
 赤ちゃんは、あやされると、「あーうーあーうー」と反応しますが、これは自分が注目され、相手がかかわりを持とうとしていることを感じ取るためとされています。
 特定の人(赤ちゃんの場合には、ほとんどはお世話をしているお母さんですが)との密接な関係を求め、その人がいることで心が安心します。これを愛着(attachment)と呼んでおり、イギリスの児童精神医学者であるジョン・ボウルビィが提唱した概念です。

 

 

 お父さんやお母さんが赤ちゃんとしっかりした愛着の土台を作るには、赤ちゃんとの親密な心の響きあい(原会話)が大切です。
 お母さんが無意識に赤ちゃんに語りかける時の独特のリズムやピッチ、そして抑揚はマザリーズ(motherese)と呼ばれおり、優しく、「◯◯ちゃん」と語りかけると、赤ちゃんは言葉の意味は分かりませんが、うまくそれに引き込まれて、手などを同調して動かす現象を「エントレインメント」または「引きこみ同調現象」と呼んでいます。
 これら赤ちゃんとの心の響きあいによって、お互いの間に愛着が育っていけば、お母さんは自分自身が心地よいだけでなく、子どもの愛おしさを再発見し育てる力につながります。一方、赤ちゃんは、自分の要求や甘えを十分に満たしてもらうことによって愛されているという基本的信頼感が心の中に刷り込まて、心の安定につながります。
 赤ちゃんが甘えたい気持ちを自分の心の中から締め出してしまうと、ママにとっては一見手がかからず、良い子に見えますが、情緒の発達にとってはよくありません。いわゆる「サイレント・ベビー」といって感情の発達が阻害されてしまいます。「あなたはお父さんとお母さんの宝物」と言って語り掛け抱きしめてあげることはとっても大切なことです。

 

乳児期は「ポジティブな心」の基礎が育つ=乳児期の心は養育者との関係が大切

 大脳辺縁系は大脳の内側にあり、情動・本能・記憶に関わる発生学的に古い領域の脳です。
 胎児期から乳児期は大脳辺縁系の発育が主で、喜び、安心、怒り、不安、恐怖など、この時期に経験した情動は「表象(頭の中に描くイメージ)」として記憶されます。
 乳児期に温かい養育環境の中で受けた感情は、赤ちゃんの心の中にポジティブな感情が表象としてしまいこまれ「心の安全基地」を作ります。
 一方、お父さんやお母さんが子どもの甘えなどの愛着行動を無視したり、拒絶するなどの養育環境では、心の中に怒りや不安、恐怖と言った感情が表象としてしまいこまれ、赤ちゃんはお母さんから保護される価値のない自己像を作り、混乱した心の基礎が出来上がってしまいます。
 幼児期になり、新皮質が大脳辺縁系をコントロールするようになると、心にしまい込まれた表象は、一見表には現れませんが、子どもが成長して将来困難に出会った時に心の引き出しにしまい込まれた表象が現れます。これを内的ワーキングモデルと呼んでいます。

 

 

 「他者は信頼できるものであり、自分は他者に大切にされる価値のある人間である」という心に形成されたイメージがあれば、心の安定感となり、他者と良好な関係性を築くことができます。

 

乳児期の「ポジティブな心」を育てるには?=乳児期の感覚を通じた愛着形成が大切

 乳児期にポジティブな心を育てることは、それ以降の子どもの自立や社会性が育っていくのに大きな影響があります。そのためには、乳児期にお母さんとの間にしっかりした愛着ができていることが大切で、特に五感を通じた感覚のやり取りが重要です。産まれて間もない赤ちゃんは、毎日の生活の中でお母さんに抱っこしてもらったり、ミルクを飲ませてもらったり、声をかけてもらったりということを通じて、お母さんへの愛着を深め、人を愛したり思いやる心が育ちます。

赤ちゃんが見せる愛着行動

 赤ちゃんのお母さんやお父さんに対する愛着行動には大きく分けて 3 種類のものがあります。発信行動はぐずったり、微笑んだり、お母さんをみつめて、相手の注意や関心を引き、相手をしてもらおうとする行動で、寝返りやハイハイなど自分で移動できるようになるまでの時期に見られます。定位行動は、愛着を持っている相手がどこにいるのかを確認する行動で、目で姿を追いかけ、お母さんの声がした方を向いて探すような行動のことです。接近行動は、愛着を持っている相手を後追いしたり、抱き着いたりする行動で、ハイハイや一人歩きができ自力で移動できるようになると見られるようになります。

 

お母さんと赤ちゃんとの感覚を通じた触れ合い=抱きしめることは究極の愛情

 赤ちゃんの甘えやぐずるなどの一見わがままと見える愛着行動に、お母さんが感覚を通じてしっかり応えることは、赤ちゃんの自己肯定感をはぐくむために必要です。
 はぐくむ(=育児)の語源は「羽含む」です。親鳥が弱い幼い雛を自分の羽で抱きしめ守り育て、見返りを期待しない無償の愛を与え、育まれた赤ちゃんは「自分以外の人が絶対的に自分を受け入れ愛してくれる」ことを心に刻み込みます。
 赤ちゃんに愛着行為が見られたら、まず、優しく声をかけて(聴覚)、じっと目をのぞき込んで(視覚)、優しく抱き占めて抱きあげましょう(触覚)。優しく、声をかけて抱き上げられて、お母さんの肌のぬくもりや匂いにふれる(嗅覚)と、赤ちゃんは。守られている安心感を持ちます。特にたくさん泣いた後のお母さんの抱っこは赤ちゃんにとっては最高の贈り物です。また、眠る時の抱っこもお母さんの鼓動をききながら安心して眠りにつくことができます。

 赤ちゃんの首が座る 4 カ月以降は赤ちゃんをおんぶするのもいいですね。おんぶはお母さんと赤ちゃんが同じ進行方向で、景色を見るなどさまざまな体験をお母さんと共有できます。

 

 

さいごに

 お母さんが与える愛情は子どもにとって何ものにも代えがたく、特に乳児期にお母さんとの相互関係の中で作られた絆「心の安全基地」はその後の子どもの心の発達には欠かせません。
 でも???すべてのお母さんが子どもと上手に心の絆が結べるわけではありません。子育てがうまく行かず、子どもとの絆ができなくて傷ついているお母さんもいます。
 赤ちゃんを産んだだけで「母性」が芽生え、子どもとの絆を作ることができるものではありません。
 次回のコラムでは「子どもとの絆が結べない」と傷ついているお母さんについてお話させてくださいね。

 

ではまた。 By ばぁばみちこ