キッズファム財団

 キッズファム財団(一般財団法人 重い病気を持つ子どもと家族を支える財団)のご紹介と、財団主催の「第5回 医療的ケア児・者と家族の主張コンクール」への応募文のご紹介です。

 

 

キッズファム財団のホームページ

 

 

 キッズファム財団は、重い病気を持つ子どもと家族への支援の輪を広げる活動をおこなっている財団です。

 2016年4月に重い病気を持つ子どもと家族が楽しい時間を過ごせる場所として「もみじの家」が開設され、こうしたご家族が「安心して暮らせる社会」をつくりたいと財団が設立されました。

 ファミリーフォトの撮影、写真展やチャリティライブなどの活動の他、医療的ケア児・者と家族が日々の想いを発表する「医療的ケア児・者と家族の主張コンクール」を実施されています。

 今年の「主張コンクール」は、応募者2名のため中止となりましたが、キッズファム財団のホームページで応募文を掲載されています。そのうちのお一人(広島在住)の応募文をご紹介させていただきます。

 

『障がい児を育みながら働く』 黒瀬 雅子

我が家の次男理生は、ファロー四徴症、難聴、肛門狭窄、停留精巣、成長ホルモン分泌不全、遠視・斜視などの疾患や障がいを持って生まれた重複障害児です。

 

2回の心臓手術、停留精巣の手術、体調不良による頻回な入院など、2歳過ぎまでは、入退院の繰り返しでした。
心臓手術を終えるまでは、チアノーゼの真っ黒な顔色で、SPO2はとても低く酸素が欠かせず、夜は頻回にモニターアラームが鳴り、息をしているか心配で何度も呼吸を確認したものです。
2回目の心臓手術で、原因不明の低酸素脳症を起こし、全く動かない、表情もない、食事もとれない状況が続きました。
手術前は、食いしん坊で、ケラケラ笑いながらおもちゃで遊ぶ理生を同じベッドで見ていたのに…その姿はもう見られないのかと、強く悲観し落ち込みました。幸い、時間をかけて少しずつ回復してくれたのですが、この時の経験は、親として強く心に残るものとなりました。
ここまでの理生の子育ては、病気のこと・発達のことなど、不安で一杯なのに、相談できる人がいなくて、孤独を感じることが多かったです。

 

治療がひと段落して2歳半を過ぎた頃から、運動・知的発達ともにかなりのんびりの理生と療育園に親子通園する日々が始まりました。
母である私の職業は看護師で、理生が3歳になるまでに職場復帰予定でしたが、親子通園施設だったことや、夫以外の家族に協力者がいなかったこともあり、働きながら通園する難しさを感じ退職しました。
仕事を辞めることは、自分の描いていた社会人キャリアからの離脱や価値観の変容を迫られ、悔しい選択でした。
障がいがある子を育てながら仕事をするハードルの高さに直面し、いろんな気持ちの葛藤の中での療育園通園の始まりでした。

 

とはいえ、療育園に親子で通った時間は、親子で成長でき、いろんな命と出会え、似た悩みを持つ仲間と出会えた、尊い時間になり、通ってよかったと思っています。
理生は今、特別支援学校に元気に笑顔で通う小学3年生、日常生活全般にサポートが必要ですが、スモールステップで成長を続けています。

 

私は、理生の幼少期の孤独だった子育て経験から、在宅で過ごすお子さんと家族支援において、自分にできることがあるのではないかと考え、仕事を諦めきれない気持ちも強く、療育園通園の傍ら訪問看護ステーションでのパート勤務という形で、小さく社会復帰しました。
そこで、神経難病、重度心身障害、遺伝子疾患など病気や障がいを持ちながら家で暮らすお子さんや成人の方との素敵な出会いがありました。
皆さん、日々体調と向き合いながら、懸命に生きておられます。
見せてくださるいろんな姿に、こちらが力を頂いてきました。
また、ご家族は、呼吸器の管理をはじめ医療的ケアなど、寝る間を削ってケアにあたっておられ、きっと疲れもたくさんあると思います。
なかなか外に出られない方もおられ、ストレス発散も工夫が必要です。
ご本人・ご家族ともに、真の願いを抑えて、謙虚な気持ちで過ごされています。
でも、家族一緒の生活に幸せを見つけるしなやかさを持ち、看護師やヘルパーとの他愛もない語らいに笑顔を見せ冗談を返してくださる、お子さんの成長を共に喜び合える、しんどいときはその気持ちをぶつけてくださる。
わずかな力にしかなれていないのだろうと感じながらも、訪問看護師としての時間は、我が子の子育てと並行して、利用者さんとそのご家族からいろんなことを教えていただいた、温かく大切な時間でした。
そして、自分はこれから何をしていくべきか、考える時間ともなりました。

 

重度の障がいを持つ方の支援を通して、サービスが充足しないことが生活の質を揺さぶっていると感じることが多くありました。
重度訪問介護は長時間使えない細切れ支援になりがちで、とある神経難病患者さんが、「サービスに合わせて決めた時間に排泄や外出をするのではなく、自分の思うままに暮らしていきたい」と仰いました。
多くの人の当たり前が、この方には願いになってしまっているのです。我儘ではなく、当然の欲求がまかり通らない生活がたくさんあることを受け止めなければいけないと思う言葉でした。
また、お子さんに関しては、サービスを多く求めず母親が中心でケアを担うケースもあり、母の介護量が多すぎ、余裕がない生活になってしまうことも。
また、呼吸器や医療的ケアを要するお子さんの生活は、一人一人状況が違って様々です。
お子さんに合った療育園・保育園、学校など教育の場の選択や、放課後の行き場などのサービス、お子さんの成長に関して、きょうだい支援など、抱える悩みも多く、小さなころからのいろんな視点での支援がとても大事だし、その支援の手がもっと増えればよいと感じています。
先日、ご縁あって参加させていただいた、全国医療的ケアラインの発足1周年イベントで、医療的ケア児の生活や教育の現状や、今後の展望を知ることができました。
全国で繋がって、まだまだ足りない医療的ケア児への支援の拡大、地域格差、学校問題など、前に進んでいくよう、一緒に考えていきたいと思っています。みんな同じ命、どの子も教育環境が整い、色んな経験ができるようになりますように。

 

訪問看護での出会いや、理生を育てる障害児の親として感じてきたことから、人と繋がり・繋げる、生活の潤いや豊かさに繋がる方法を一緒に考える、障がい児者が参加できる社会を考えていく。
そんなことに興味がわき、今は訪問看護師を一旦お休みして、自分らしい働く道を模索中です。

 

私は、仕事を継続することを一つの目標にしています。
障がい児者の母が社会に参加していることに3つの重要性があると考えているからです。
一つは、障がい児者の介護は圧倒的に母親が担っていますが、この古典的な社会の流れを変えていくこと。
二つ目は、社会に出ることがどうしても叶わない当事者と家族の思いを共感力を持って代弁すること。
三つ目は、障がい児者と家族の暮らしを、周りの方に自分を通して理解してもらうこと。
そんな役割を担うことに小さくとも意味があるだろうと考え、障がい児の親ならではの、時間のリミットなどの就労の難しさもありますが、可能な限り仕事をしていくことを目標にしていきたいと考えています。

 

制度やサービスがない頃の、大変な子育てを乗り越えられてきたパワフルな先輩保護者が頑張ってくださったおかげで、母も働く選択肢が持てる今があるのではないでしょうか。
享受するだけではなく、自分も次に繋げられることをしていかなくては!と刺激をいただき奮わせてもらってもいます。
理生が繋いでくれたご縁と、そこから沸き起こる気持ちを、これからも大切にしていきたいと考えています。